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【私の趣味】 [鳥取県医師会報に掲載された文です。]

♪ 人生ミュージカル 5 ♪

 睡眠不足状態や疲労が蓄積したとき、あるいは、深夜に病院から呼び出されたときに、いつしかメロディーを口ずさんでいる自分に気付く。内容は何気ない自作のメロディーであったり、クラシック音楽やミュージカルの主題であったりしている。あるいは、朝起床時などの家族との挨拶において、歌うように、 そうミュージカルのように歌い語りであったりする。

 歌うという行為は、いつ頃から人類の財産になったのだろうか・・・。一人の人生においては、子守歌を聞かされることにきっかけが始まろうか。小生 のオフクロは、名のある子守歌ではなく「恭ちゃんは良い子だ、ねんねんね」と定番の歌詞で単純なメロディーを付け、話しかけるように歌っていた。今になって思えば、人生・ミュージカルの端緒が子守歌にあったとも言えるのかも知れない。

 保育園・幼稚園時代も歌って踊っての場面が多かろう。自分の思いのままに、感じた通りを、拙劣ではあろうが、言葉に出し、メロディーを付けて、歌うように話すのは、誰しも嬉しいことで、人間であるがゆえの幸せな場面といえようか。

 旧ソビエト連邦からバルト三国が独立した際のテレビ映像で、リトアニアなどの国民が民族の歌を合唱していた様子も思い起こす。国民の約7割が何らかの合唱団に属している国民である云々のリポートに感動を覚えた。乳幼児や歌えない病弱者もあろうから、国民の大半が合唱団に属していると計算して、驚いた次第であった。

 翻って、わが国の学校教育においては、入試体制のあおりから、人生を豊かにする芸術科目が軽視され、かつ、点数漬けがされてきたことに悲劇が(そ う、自分には「悲劇」と表現するのが適切に思えるのです)始まったといえよう。上手・下手、優越感・劣等感・・・・、大半の子どもたちは、歌うことを下手と思いこみ、劣等感を覚えていった学校の音楽であった。教育が人を育てることを願いとするならば、とても「音楽教育」とは言えない状況を体験してきた。そして、大人が、歌うことをためらいだし、ギスギスしていった一面もあろう。カラオケも大半は、うるさい機械相手に一人で歌っているわけで、心を合わせ、ことばを大切にして歌うことからは縁遠い。

 国の教育の方針が、革命的に様変わりしていく時代にあって、歌うことを大切にする教育、地域社会造りは、「心の豊かさ」が渇望される現代であるがゆえに、これまでの高度経済成長を目指す単一的価値観を追求める社会通念からの脱皮のためにもかけがえのないこととなろう。

 歌って、語って、表現し、感動を共にしていく日常的生活の光景は、子どもたちの願いであり、高齢社会・福祉社会の願わしい姿と見えてくる。あれ、これって、まるでミュージカルの世界みたいだね。そう、気分は、わが人生・ミュージカル。

人生ミュージカル][][][][][四方山話][同2

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