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【私の趣味】 [鳥取県医師会報に掲載された文です。]

♪ 続 人生ミュージカル ♪

 ミュージカル映画「サウンド・オブ・ミュージック」は、日本国民の何割の人が知っているであろうか?

 映画館で見た人、自宅のビデオで見た人、ドレミの歌などヒット・ナンバーを歌った人など、現職の首相よりも知名度が高いのかも知れない。しかし、「サウンド・オブ・ミュージック」がオーストリアのザルツブルグと、その近郊の氷河湖地帯である「ザルツカンマーグート」がロケ地であることを知る人はとなれば、激減しようか。

 「サウンド・オブ・ミュージック」の封切りは1965年。若きジュリー・アンドリュースが、前年に封切られ、主演したミュージカル「メリー・ポピンズ」で成功し、抜てきされた、この「サウンド・オブ・ミュージック」のロケは1964年となる。

 30年後、1994年の夏、鳥取県民文化会館・梨花ホールにオーストリアから「ウイーン国立歌劇場少年少女合唱団」(当時の紹介邦訳)がやってきた。ウイーン少年合唱団と、音楽的に同列とされている。例えば、今日を代表する彼の三大テナーの一人、プラシド・ドミンゴがウイーンで毎年、多彩なゲストを迎えて行っている、ウイーン恒例のクリスマス・コンサートにおけるバックコーラスを毎年受け持っていることからして実力が分ろう。

 ウイーンからの少年少女は、夜の演奏会に先だって、小生が園長を拝命している鳥取療育園に慰問演奏を兼ね、園児との交換会にやってきてくれた。「とっとり楽友協会」を主宰する谷口氏の粋な計らいがあってのことだった。この返礼を兼ねて、同年の夏休みをずらして、10月7日出発で7泊8日間のオーストリア旅行を実現できた。当時、小児科仲間の快諾あってのことだった。妻と二人の自由な日程で、ウイーン計4泊とザルツブルグ2泊であったが、ザルツブルグ行きの選択は妻の決定であり、当然のことながら「サウンド・オブ・ミュージック」が思い起こされた。

 時期はずれの18万円弱の自由旅行には、ホテルでの朝食の他にはザルツブルグ到着後半日市内観光が付けられていた。ウイーンからザルツブルグへの列車での道中、小生「市内観光なんて歩いて自由に回れるから、車をザルツブルグ郊外のザルツカンマーグートへ走らせるように頼んでみる・・・」、妻「やめなさいよ。もう一組のお二人が望まれないかもしれないし、会社の人にも迷惑よ!」とかなんとか、お決まりパターンの凸凹会話があった。

 結局は、昼過ぎ、ザルツブルグ到着後、昼食を取る時間もなく、迎えのボンゴに若い二人と我々夫婦、現地ガイドさんと運転手の6人が乗込んだ。職業柄旅行慣れしておられた若いお二人に提案し、OKをいただいて、ガイドさんに申し出た。

 「ザルツブルグ市内は自由に廻るから・・・、ザルツカンマーグートに行ってくれないか、ガソリン代等余分のお金は払うし・・・、ガイドさんと運転手さんにもご馳走するから、我々4人は昼食もとっていないし、ザルツカンマーグートの入口にあたるフシュル湖畔の古城ホテル・レストランがあるはずだから、そこの出来ればテラスでフシュル湖や山並みの景観を楽しみながら昼食を・・・」。

 ガイドさんはペラペラとドイツ語で運転手に話し、運転手の彼は無線で会社と連絡をとり「OK」となった。運転手さんが、半日ツアーの最後に「ご馳走になったから」と、ガイドさんによれば全くの例外的なことで、ザルツブルグ市内を見おろす夕景の美しい教会の立つ丘に連れていってくれたことは得難い記念になった。

 ちなみに、フシュル湖を見降ろし、オーストリアアルプスを眺める湖畔の古城レストランで、ハウスワインもいただいた上で、6人合計が日本円で1万円に満たなかったのです。(観光地化していない郊外レストランは安い!)民族衣装を着た注文を聞く若い彼女共に写真も、はい、記念に・・・。

 マリアが大佐と結婚式を挙げた教会は、やはり氷河湖である Mondsee(モント湖)近くにあり、映画の雰囲気に浸った。翌日は、同行の若い二人がミラベル宮殿での結婚式。そして、我々夫婦も参列して祝賀したことは得難い体験となった。

 30年前の「サウンド・オブ・ミュージック」の世界との出会い。欧州の旅で最も共感できることの一つは、街並みの景観が優先され、個人の身勝手が後回しになっている社会通念。私たちの体験したザルツブルグの町は、ザルツカンマーグート地方ももちろん、30年前の1964年の雰囲気そのままであった。

 ボートが転覆した大佐の館裏の池、ドレミの歌を歌いながらあるいたザルツブルグの町々、モーツアルト橋、馬洗池、ミラベル宮殿の庭園。そう、「ドレミの歌」のフィナーレは、マリアがミラベル宮殿の庭園奥の石段を子どもたちと歌いながら上がり、ザルツブルグの象徴である小高い丘に立つホーエンザルツブルグ城を見て、ハイ・トーンのソプラノで歌い終えていた。

 「ドレミの歌」を真似て、小生は記念写真。そう気分は、わが人生・ミュージカル。

1994/10/11(火)に撮った写真左・自画像は「サウンド・オブ・ミュージック」の「ドレミの歌」フィナーレでマリアや子ども達が歌に合わせて登った階段:ミラベル宮殿横の庭園から養老公園への通路にもなっている階段で、マリアの模倣! 右は業者のサイトから引用 

追記)2010年、キャッツやオペラ座の怪人の作曲家であるアンドリュー・ロイド・ウェッバーがプロデュースした「サウンド・オブ・ミュージック」が、ロンドンでロングラン・大ヒットし、ALウェッバーの依頼で、日本では、(かつての東宝でななく、)劇団四季が同ミュージカルを演じることになり、現在、劇団四季劇場《秋》でロングラン公演中である。学会出張の機会に小生も一度観劇したが、素晴らしい舞台であった。やがて大阪でのロングラン公演もあろうが、皆に勧めたい舞台である。小生?~再度、体験したい願いがあります。(2010/8/17記)

人生ミュージカル][][][][][四方山話][同2

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